しょっぱなから、重い槍(思いやり)などと書いている私は、世の中的に言うと、高齢者のゾーンに入るのですが、私は、自転車で外まわりの仕事をしていながら、小中生を見て見ない振りして、良―く見ています。
いで立ちは、ヘルメットに、怖いサングラスをして恐面にしています。
心の中は、「お前ら、みんな煮て食うぞ。」と思っています。昔で言うと鬼婆です。
「ゆでて食うぞ。」
いじめの源は、大人の腰が引けているからです。学校と一般社会が、かけ離れていることが、原因のひとつと思います。
子供は、子供で大人の腰が引けているか、いないか、良く見ています。
『下校中、いじめの芽になりそうな悪ふざけの子供たちのところに、そ―っと近づいてあげます。子供たちは、やめます。無言で圧をかけたのが、わかるのです。
子供たちは、先生が見ていない下校中に、羽を伸ばすのです。お笑いのような話ですが、下校中、見られているのは、「あれ?」と、あわてるのです。(先生以外に見られてる。)
今から、10年ぐらい前のことでした。
自転車に乗って仕事の帰りでした。
目の前を、中学生の一人の体の小さい男子が首にカバンをたくさん、ぶら下げられていました。
「あら?」と一瞬思ったと同時に、二人の女子中学生が、あれ、おかしいから、助けて下さい。」と言われました。
二人の女子中学生に、どういうふうに映ったのか、強そうなガキ大将に見えたのでしょうか?
「わかった、まかして。」と、加害している集団のところに行きました。
「みんな、交替でやろう。」と言うと、「だって、あいつが黙っているから。」と、口々に、言いました。目を見ると、どの子も目をきらきら可愛いのですよ。
「そうか、じゃ仕様がないか。」と捨てゼリフを言ったとたん、首にカバンをたくたん下げた男の子が、首を上げて堂々と歩きはじめました。すると大勢いた加害集団の子が、みんな腰を抜かしてすわりこみました。次の日、また路を通った時、その男子が目でお礼をしてくれました。私が「負けるな。」と重い槍を投げたのが通じたのです。
重い槍は、双方に当たったのです。
それから、いつだったか、同じころだったのでしょうか。
近くに散策の森があり、中学校の部活動によく使われます。
ある日のこと、ベンチの上で、またもや、小さな男の子が服を脱がされているのです。
その時、「これは?」と思い、松ぼっくりを拾うふりして、いつまでもその場にいたのです。すると、服を脱がせていた子何人かが、私をじーっと見ているのです。
「にーらめっこしましょ、あっぷっぷ。」と、いう感じで、しばらく黙りあいしていました。
すると、服を脱がせていた子達、脱がされていた子も、一列に整列して、真っすぐに走り出しました。どちらもみんな目を輝かせる、良い子たちです。
いじめは、学校だけの責任ではないのです。
閉鎖的な空間だけでは、何かが落とされるのです。かたよりが生まれるのです。
子供たちは、地域の人達も、手をそえるべきです。学校外でも、地域と触れ合える行事があると良いと思います。
子供たちは、未来への産物なのです。
今、NHK歌ののど自慢で、中学生を参加させることは、とても良いことと思います。
地域の自治会館などで、歌や演奏のコンクールなど、あると良いと思います。
学校のドラマは、いじめから入らずに、子供たちがいっしょうけんめい学ぶ、運動をする、観点を変えるべきです。 |